完璧な世界とは発達障害者にとっては生きやすい世界かもしれない

      2016/04/25

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※過去ブログから転載、加筆修正※
この記事は発達障害当事者の目線でテレビ番組を視聴した感想になります。

完璧な世界-フィクションの敵対者の言葉より-

日曜朝の児童向け番組を見るのが、昔からの日課であったりします。
最近は『仮面ライダーゴースト』を視聴しているのですが、この中で度々「完璧な世界」という言葉が出てきます。
具体的にどういうものかは触れられていないのですが、作中の言及を察するに「死の存在しない不確定要素がない世界」ということになるようです
(もっとも劇中では死が存在しているのですが)。
不確定要素の中には、心の揺らぎ、周囲からの心理的影響なども含まれているようです。
有り体に言えば管理社会というのが正しいと思われますし、それを好ましく思わない人間の方が多いだろうと思います。

そもそも、心の揺らぎがない人間はそうそう存在しないですよね。悩みや迷いがあってこその人間である、と私は思いますし。
唯、私からしてみれば、作中の完璧な世界は「生きやすい世界」なのだろうなと思う部分もあるのです。

不確定要素がないと生きやすい?

発達障害者というものは、突然の変化や割り込みに弱い人間が多いです。
自身の感情の制御にも難があるため、結果として「不確定要素に弱い」者が多いと思われます
(多少のばらつきはありますが)。
また、一つ行動を起こすだけでも、定形発達の人間以上に思考してからでないと動けない人も多いです
(それこそ手足を動かす、息をするレベルでそう、という人も)。

そういう人間からしてみると、感情的な部分を失っても、不確定要素のない上に全てを管理されている世界というのは、
突然の事態がない上、思考に囚われることのない分生きやすいと感じるもんなんです。

悩んだり考える必要もなく、管理者の意思に全て委ねていれば生きることは可能である管理社会は、日々の行動や挙動にも、
心身のエネルギーを消費する発達障害者にとってすれば、天国に思えるのではないだろうか、と執筆時に思いました。
何せエネルギー消費は最低限で済むのだから。
まあ、それで出てきた余剰エネルギーを使う場所も管理されている訳で、冷静に考えればそれがメリットのみではないことは分かる筈ですね。
本当は今ある社会の中で振り回されないように生きられるのが一番である訳です。

貴方が見ているフィクションの敵は「どこかの誰か」かもしれない

こんな事を書いたのは、完璧な世界の実現の為に、不完全であると家族をも「消去」する作中敵の気持ちが筆者には多少分かる気がしたからです。
不完全なものは、例え本人達だけで悩んでいるだけでも自分にまで悪影響を及ぼす気がします。
家族の情や感謝の心を超えて、それは唯々、邪魔なものでしかない。だから「いらない」。

過去、特性に振り回されていた頃の家族への思考と、とても似通っている敵思考は分かると同時に寂しい考えだなとも思うのですよね。
とはいえ、敵側に救いがあるようにも思えませんし、実際問題としては賛同しかねる事でもあるのですが。

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